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posted by: - | 2009.08.06 Thursday | |
ストーリーテリングが経営を変える―組織変革の新しい鍵
 客観的に距離を置いて、遠くから観察するように、企業、病院、学校などの組織を研究するのがいいか、そこに関与するひとたちの、いろんな生の声での物語で、生きられるままの組織の記述をするのがいいのか。後者に期待する動きが多数、見られ非常に興味深い。
 なんとっても、元世銀のS.デニングの貢献が実践的な契機になっているが、ここに、元ゼロックスのパロアルト研究所のJ.S.ブラウンが合流して、とても力強い動きが姿を現している。
 ジョン・S.ブラウン=ステファン・デニング=カタリナ・グロー=ローレンス・プルサック著『ストーリーテリングが経営を変える――組織変革の新しい鍵』(高橋正泰・高井俊次監訳、同分館出版、2007年)


 1980年代に組織文化や組織学習の研究が誕生し隆盛したときに、組織のなかで、語り継がれる物語、その組織のDNAに近いようなものの共有、そのための語り部としてのリーダーという役割が話題になった。その後、単なるブームとしてではなくて、この問題を考え続けてきたひと、経営の実践、とりわけ知識創造、組織変革、対話の促進のために、ストーリーテリングを重視してきた一連の研究者がいる。本書は、この分野に興味をもちつつ、格好の入門書に出会わず困っているひとには、吉報となる出版物だ。信頼のできる読みやすい訳書が出たことを喜びたい。
 著者4名の専門分野は違う。だが、ストーリやナラティブ、その語り部の役割の深い興味を抱く点で共通している。PARCの略称で知られるゼロックス・パロアルト・リサーチ・センターの元所長として名高く常に学問の境界を取り払ってきたジョン・シーリー・ブラウン(第3章「組織における知のメディアとしての語り」)。保守的な世界銀行をナリッジ・バンクに変身させる組織変革に携わることになったステファン・デニング(第4章「語りは組織変革のツールである」)。物語アプローチで教育用ビデオを世界中に供給し対話を起こしてきたカタリナ・グロー(第5章「教育用ビデオ制作におけるストーリテリング」)。そして、ナレッジ・マネジメントの分野でよく知られ邦訳も二冊でている元IBM 経営幹部のローレンス・プルサック(第2章「ストーリテリング・イン・オーガニゼーション」)。すごい顔ぶれで、分野の多様性はいい目に出ている。専門は違うがストーリテリングへの関心を共有するひとたちが、このように専門の蛸壺を出て、交流していること自体が興味深い。
 本書の中核部分は、ワシントンDCにあるスミソニアン国立アメリカ歴史博物館でおこなれたシンポジウムにおけるこの4名の登壇者の講演の記録(第2章〜第5章)だが、それに加えて、第1章では、著者ひとりひとりがどのようにして「組織における物語り」に出会ったのかが、導入部として追加され、第6章では、著者たちを代表して、デニングがシンポジウムの意味を振り返り、それを学問的また実践的に位置づけ、論点をうまく要約し、関連する学説を紹介し、実践的なツール、リーダーシップに不可欠のものとしてのストーリテリングについて展望している。
 社史や会社案内など公式の文書よりも、その会社の内部者や関係するひとの語るオラル・ヒストリーのほうが信頼できる(第2章)。わたしも、経営学者として大勢の経営者にインタビューしてきたが、無理してなにかを聞きだそうとするよりも、自然な語りが開陳されたときに、その経営者やその会社のアイデンティティがより鮮明になってくるものだと実感している。思えばキャリアの調査は、それ自体が職場を通じてひとが人生を学ぶ語りにほかならないとさえ思える。仕事の世界の人類学的研究(仕事や組織のエスノグラフィー)というのにはじめて本書でふれるひともいることだろうが(第3章)、ゼロックスでのコピー機の修理法がマニュアルではなく、同僚と話し合いながら、物語を紡ぐように解決が図られる(ジュリアン・オールの有名な研究)。組織におけるプロセスとは、ひとを鋳型にはめる手続き・手順・マニュアルといった強制力ではなく、物語を通じて潜在力・可能性・即興の余地を指すことを、ブラウンは強調している。組織変革に物語りを活用したいと思う読者には、1996年から2000年までに世界銀行で起こったことがすばらしい実践的ケースを提供するだろう(第4章)。評者自身も、ここ数年、経営者の貴重な語りをお聞きする機会があるたびに、映像を残すように心がけているが、グロー・プロダクションという映画製作会社による映像教材の作成は、ヒントに充ちている(第5章)。ネルソン・マンデラのようなすごいひとの語りも、それをただ見るだけでなく、見るひとが語るひとりひとりの物語を誘発する機会提供に役立っている。それがうまく語り継がれるときには、いい物語は、周りの人びとにも物語を生成させる器となる。本書を読みながら、著者たちが使っている言葉ではないが、物語を生成する物語(story-generating story)という言葉を思いついた。
 物語が生まれるほどの組織になったら本物だし、長く続く組織が大きく変わるときにも新たな物語ができる。語り部の役割を果たすリーダーや変革エージェントが物語りを紡ぐ。そんなことに興味をもつ経営者、管理職に本書を薦めたい。併せて、会社を見る目を養いたい新人や組織開発の専門家にも手にとってほしい。それがうまく語り継がれるときには、いい物語は、周りの人びとにも物語を生成させる器となる。本書を読みながら、著者たちが使っている言葉ではないが、物語を生成する物語(story-generating story)という言葉を思いついた。
 DNAを誇る伝統ある企業、古い地場産業、怪人が住むほどの劇場、由緒ある病院、名門校といわれる学校には、物語がある。
posted by: 金井壽宏 | 2008.03.17 Monday | 11:19 |
ロスチャイルド家と最高のワイン―名門金融一族の権力、富、歴史
 日経新聞に書評をさせていただいたときのロング・バージョンです。わたしは、伊丹敬之先生や高橋俊介先生のようなワイン通ではないので、ご遠慮しようとも思ったのですが、興味ある本なので引き受けました。窓口だった日経の担当のご承諾をえて、ロング版で掲載させていただいています。

ヨアヒム・クルツ著(瀬野文教訳)『ロスチャイルド家と最高のワイン――名門金融一族の権力、富、歴史』日本経済新聞社、2007年。


 金融王国を築いたロスチャイルドという富裕なファミリーの名前を聞いたことがあっても、その詳しい歴史にふれたひとは稀ではないだろうか。また、ワイン通でなければ、(セカンド・ラベルの)ムートン・カデを気楽に飲みつつうかつにも、ボルドー屈指のシャトーのふたつが、ロスチャイルド家が守り育てたものだと気づかないだろう。金融の世界が、ファミリーの第1の人生なら、ワインは、第2の人生だと著者はいう。しかし、後者の文献はこれまでなかったと。
 本書の特徴は、一方で18世紀後半に頭角を現したロスチャイルド家の歴史を、あたかもトーマス・マンの『ブッテンブローク家の人びと』を読むかのごとく、うまく解き明かしてくれると同時に、いかなる経緯で、ワインに燃える末裔が出てきたのか、物語ってくれる点にある。事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、史実だが読ませてくれる。
 初代のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドには5人の娘と5人に息子があり、1810年には、5人の息子をパートナーとして、ロスチャイルド父子商会を設立した。そのときに、兄弟の誰ひとりとして自分勝手に単独で投資してはならない、利益は持分に応じて分配することを誓約させたことはよく知られている。一致団結がその戒めであった。婚姻も一族の間の同族結婚、従兄弟同士の結婚が多い。家紋には、concordia(協調)という家訓が刻まれていた。パートナーとしての詳細な申し合わせだけでなく、安定した信頼関係が必要だった。なにしろ、二代目にはもう国別に散らばったから結束はいっそう重要なテーマだったはずだ(英国ロンドン分家の三男ネイサン――さらに第3世代のネイサンの三男ナサニエルはボルドーの葡萄園シャトー・ムートンを入手、フランクフルト分家の長男アムシェル、ウィーン分家の次男サロモン、ナポリ居住の四男カルマン、そして、パリ分家のジェームズ――後に、甥に先を越されたがボルドーのシャトー・ラフィアットを入手)。 
 交友の範囲も中途半端ではない。ネイサンの息子はなんと晩年のゲーテにあっているし、一族の宴には、フンボルトやメッテルニヒまで賓客となった。ロスチャイルド家では、リスト、パガニーニが最新作を演奏し、一族の第2世代の女性たちは、ロッシーニやショパンから直接レッスンを受けた。レンブラント、ルーベンス、フェルメールをはじめとする芸術コレクション。
 栄光の面に目をむけると確かに実に輝かしい。しかし、いいこと尽くめではない、偏見と中傷だけでなく、社会変化、革命、戦争などの波乱がこの一族を待ち受ける。世代を下るにつれ、波乱のなかからも、ブッデンブローク家と同様に、政治、慈善活動、芸術、学術など、多方面で才能ある人物を輩出してきた。商売よりも文化に深く染まった分、ややひ弱になったかもしれない。第5世代になると、莫大な富を継承しつつも、先祖ほどのパワーはなく、喪失感をもち、一族の結束や勤勉という徳目も重みを失った。
 ユダヤ人の誇りと苦しみ(一方で貴族の財産管理を助けつつ、他方で、公園やカフェなど市民たちの集う場にさえ出入りが禁じられていた)。家族の間の絆の強さ(パートナーシップ)、そのすばらしさと窮屈さ。世代間の継承にみる連携とコンフリクト(絆は深いが、一人一人の個性と競争心もある)。巨万の富をもつことの矜恃と常につきまとう喪失の不安。ナチスの時代の苦境とそれを跳ね返す力(ビシー政権のフランスにいたロスチャイルド家のストーリは、映画『カサブランカ』を彷彿とさせる世界)。カネは経営資源のなかでいちばんボーダーレスだが、家族の絆でヨーロッパ各国それからアメリカに地歩を築く過程で、文字通り世界に君臨する。
初代から二代目、三代目と下るにつれて、金融という商売だけでなく、文化や社交サロン、そしてワインに傾倒していく姿(これは、トーマス・マンの作品につながる世界)。元々、王侯貴族の財産管理をする御用商人、宮中代理人として、アムシェルドが始めたビジネスなので、王室、貴族との社交は最初から予期されていた。産業資本(たとえば、初期の鉄道)に投資する以前は、国家レベルが顧客であったといってもよい。それだけに、革命やナチスなど運命に翻弄されもする。
 そんなこのファミリーを形容する言葉を探すなら、「栄光と危機」がふさわしい。本書が読むひとに元気を与えるとしたら、けっしてへこたれないで戦う姿勢だろう。そして、それを支えた一族の結束。
 さて、経営資源をボーダーフルな順にならべると、ヒト、モノ、情報、カネとなる(たとえば、経営学者の伊丹敬之氏のかねてよりの指摘)。ヒトは、文化の違う世界に動くには、障壁がある(だから、海外勤務手当は、その障壁を越えてもらう苦労へのプレミアムといえる)。モノは、国際的に通用する商品でも、各国のテイストにあわせることが必要になることがある(商品名やパッケージングや、食品なら文字通りのテイスト=嗜好)。情報は、英語が国際語になり、電訳ソフトがでてくれば、また、インターネットなど情報技術の発達により、かなりボーダーレス(国境を意識しない状態)になった。経営資源のなかでは、カネがいちばん、機動的に動く。しかも、それを今ではITが支えている。しかし、カネと情報はボーダーレスであるからこそ、絆がないとふつうは空中分解する。はるかIT以前では、もちろん、第2世代の5名の兄弟がおこなったことだが、一族が集い、5人ともあえて違う国をベースにしたので、手紙を書く文化を重視した。この世代の兄弟間の文通は、歴史的資料だろう。
 さきにもふれたおとり、ロスチャイルド家がすごい点は、経済の世界だけでなく、政治、文化、国際、そしてワインにまで及ぶ点だ。
 本書でいちばん興味深いのは、いちばんボーダーフルと思われるはずのヒトが早くも第2世代(つまり、初代アムシェルの5人の男子たち)の間で、さっそく国境を越えた点だ。また、ヒトのつぎにボーダーフルなモノだが、ワインは、同じビンテージが世界中のグルメ、愛飲家、それも富裕な愛飲家に渡るという意味でボーダーレスでもある点だ。そして、本書で語られるようなビンテージとなると、ロバート・モンダヴィが述べたように、ワインもまた、ビジネスを越えて芸術の域にまで達する。ワインには、テロワール(土壌)が大切だといわれるが、運命に翻弄されながらも長く反映する企業にテロワールにあたるものがある。
 ロスチャイルド家の絆は、差別があり祖国がないユダヤ人だから、という点があるにしても、ヨーロッパにさっそく息子の代にして君臨したという点は特筆に値するだろう。最近の社会的ネットワーク分析や社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の研究では、ゆるやかな弱い紐帯こそ、広いつながり、思わぬ情報や資源の動員につながることが注目されてきた。ロスチャイルド家は、これを家族という最も濃い強い紐帯に基づいておこなったことが印象深い。もちろん、初期の大口顧客は産業ではなく、国であり、貴族たち支配層なので、城をつくり、贅を尽くした社交の場が、ゆるやかで広範なつながりを生み出す重要な手段であったことが読み取れる。もちろんその場には、シャトーをこの家族がもつことになる以前から、一流趣味のロスチャイルド家のパーティらしい高級ビンテージワインがテーブルに並んでいたことだろう。
 シャトー・ムートン、シャトー・ラフィットというボルドー有数の最高のワイン生み出すシャトーを、この家族のメンバーが求めるようになったことは、本書に彩りを添える(これを扱った第2部をワイン通の読者なら、ふつうの読者の2倍も3倍も楽しめるだろう)。ここにも、ユダヤ人として苦労が読み取れる。最後に蛇足ながら、書籍のなかの写真がどれもすばらしい。
posted by: 金井壽宏 | 2008.03.17 Monday | 11:06 |