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河合隼雄先生のご逝去に合掌author :金井壽宏
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先週、出張中に、河合隼雄先生が、おなくなりなったことを知りました。臨床心理学で大学院までいったわけではないのですが、京都大学の学生のときに、1年から3年まで3回連続、河合先生の臨床心理学概論を受けて、わたしがこれまで習ったなかで、最も影響を受けた科目が、これでした。毎年、同じ部分にも、年度によって違う部分にも、ともに感動しました。元々、先生に直接学ぶために、大学や学部を選びましたので、毎週の講義がほんとうに楽しみでした。深さも面白さも、とてつもないものでした。3年上に、今、東大にいる倉光 修さんが先輩でいて、また、博士後期課程には、神戸外大に今おられる村本詔司さんがおられ、先生の講義から受けた刺激が、先輩や仲間のおかげで、よけいに深まりました。学部の学生では臨床経験がえられないので、吉祥院病院で、自閉症児の療育を一生懸命やっていました。とても、ありがたい思い出です。今も、そのときに担当していた、たかちゃんとたかちゃんのおかあさんを思い出します。村本さんには、プシケという研究会で、すごく哲学的、宗教的に深い話、また両者が交錯するグノーシスの世界など、深淵にふれる議論の機会をいただきました。吉祥院でも、プシケでも倉光さんは、いつもごいっしょくださいました。
河合先生が入院されてから、心配するわたしに、倉光さんと、元のサントリーの副社長の津田さんが、大切なことを教えてくれました。先生の生命力と先輩たち門下の祈る気持ちが通じて治りますように、年始には、先生がおうちにおられるように思って、年賀状を毎年と同じようにお送りしました。奥様さまもまた、祈る気持ちで、全員に一言返されたのではないでしょうか。
わたしにとって、いかに河合先生とユング心理学が大事なものであるのかを知っている友人、知人たちは、たくさんのメールや電話をくれました。また、偲ぶ文章を、わたしに送ってくださった方々もおられます。
ヤマハの技術展を、研修の間に訪ねさせていただき(二日とも)、出張先の浜松で訃報に接しました--その前の週の週末には、なんと、小学校を卒業して40周年という同窓会がありました。浜松から神戸に戻ってすぐに、ユングが好きなひとならなじみの、黒い表紙のプリンストン大学のユング全集(ボリンゲン・シリーズ)の第8巻、The Structure and Dynamics of the Pshcheを読むことにしました。ちょうど、リーダーシップの本ですが、シンクロニシティというタイトルの書籍の監訳をして、解説をつけるために、ユングのシンクロニシティについて、英訳の書籍を二冊、ここ2週間ほど持ち歩いていました。また、一ヶ月ぐらいまえには、松下電器産業部長の檜垣さんが、朝日カルチャーセンター講座カセットの河合先生の『ユングの心理学』をわたしにも聞けるようにしてくださいました。檜垣さんもまた、ユングから学んだこと、河合先生を松下の講演会に招かれたときの感動を書かれていました。
わたしも、今こういう文章をここに残しつつ、かつて、この同じブログに、快癒を願う文章を書き、先生の著作集第2期第10巻に書かせてもらって自分の文章を掲載しました。
こうやって、もう一度、先生から学んだことすべてに感謝しつつ、深く強く合掌し、先生のご冥福を心から祈ります。いっぱいの知的刺激と、学ぶことの楽しみと、深さを知る喜びを、20歳前後、わたしに与えてくだささったこと、また、臨床心理学を専攻したわけではないのに対談の機会までいただいたこと(門下でさえなかなかないような機会だとずっと感謝しています)、また、津田さんのおかげで、昨年、IBM六甲会議の場にて、直接また先生から学ばせていただく機会に恵まれましたこと、第2期第10巻のテーマも、その会議のテーマも日本らしだだったこと、すべてありがたく、もったいなく、感謝しつつ、合掌。天国からも超一流の知的ジョーク話してください。
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美徳の経営author :金井壽宏
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以下が、書評のちょっと長いバージョンです。
野中郁次郎・紺野 登著『美徳の経営』NTT出版、2007年6月。
日本企業が苦労を重ねて時代を経て日本的経営の無批判な礼賛論は、さすがに姿を消したが、アングロサクソン型の企業統治と経営システムを一方的に称える論調もおだやかにはなってきた。もっとバランスよい見方が必要かと思われるときに、今後の経営のあり方を考える好著が出た。
この本の第一著者は、世界に対して日本を代表する学者で、わが国の企業組織には、精緻に体系化(あるいは、形式知識化)されていなくても、現場に豊かな暗黙知があり、革新指向のミドル・マネジャーによってトップと現場が結ばれていたことを明らかにしてきた。第二著者は、デザイン・マネジメントの研究と実践に詳しく、評者自身が、デザインやアートを競争の鍵とする企業群を英国に訪ねたときに、その慧眼と人脈に驚かされた。ふたりの著者は、これまでも、知識創造の経営とデザイン・マネジメントを融合するような分野で、折りにふれ、共著の書籍や論文を世に問うてきたが、その最新成果が、本書『美徳の経営』だ。美徳とは、「「共通善(common good)」を志向する卓越性(excellence)の追求」(p.iii)とも、「社会倫理的な徳に加え、審美性への理解、そして知的力量が融合したもの」(26頁)とも、定義される。タイトルそのもの、ずばり「美徳の経営」は、簡潔に「共通善を念頭に社会共同体の知を生かす経営」(35頁)と特徴づけられている。このテーマは難しいトピックであり、著者たちの主張は、やや理想論的でもあるので、実例に困るのではないかと思われるかもしれない。ところが、実際には、公共性、社会性を帯びた企業や、芸術や美的なデザインにこだわる経営者が、内外から例示として豊富に登場する。海外では英国のコオペラティブ・バンク、バングラデシュのグラミン銀行、わが国伝統企業では、クラレや資生堂、財閥では三井、チャーチルや緒方貞子氏のリーダーシップが取り上げられるかと思えば、世阿弥の古典や西田幾多郎の哲学への言及があったりする。美徳を実現できなかった不祥事で悪名高い会社もところどころで顔を出す。美徳は共通善と関わるで、美徳の経営は、美(やデザイン)への関心と知の復権だけでなく、企業倫理、CSRにかかわる。そんな例示を探すことも容易だ、
全編を通じて、評者自身も注目する(政治)哲学者A.マッキンタイアの『美徳なき時代』からの影響もあり、実践、物語、伝統からの学習が強調される。同時に、書物全体を彩るのは、著者たちの職人の世界や工芸への憧憬だ。しかし、意識的に理想主義的に書かれていると思われるが、その論調はけっして回顧的なものではない。将来の指針に満ちている。著者たちは、豊かな暗黙知が支えの現場の底力、モノづくりの組織能力だけでは、グローバル競争には対応できないことをはっきりと認める。そのうえで、日本企業とは、暗黙知だけにべったりと依存しているという見方を排し、暗黙知と形式知の境界線(両者の相互作用、相互変換)を強調する。
中年以上の読者なら、美徳の実践知(practical wisdom)の追求がどこかで「よい年のとり方(サクセスフル・エイジング)」にもかかわることに気づかれることだろう。アリストテレスに遡るフロネシス(賢慮)の概念こそが、今後の美徳の経営におけるリーダーシップを支えるキーワードとなっている。それは若くしてできることではない。美徳あるリーダーになりたいのなら、齢を重ねた分経験蓄積が豊かになるだけでなく、その経験からの教訓を語り、それを自分なりの考え(持論)を明示的にもつことが望まれる。リーダーシップ育成と前向きの中年論に興味をもつ評者にはそう思われた。
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1.組織内キャリア発達の規定因author :NOMA第3期人材マネジメント研究会 第5回定例会報告
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本年度のこの人材マネジメント研究会は,組織心理学を基礎としたミクロ(個人のキャリア)の話題が中心であったが,本年度の最終回ということもあり,私はミクロとマクロ(戦略)および人事管理を統合して話したい。
まずキャリアとは時間の経過をともなう移行過程である。つまり,個人が組織に入り,移行過程を経て,異なるキャリア結果に到達する。昇進などのキャリア結果を目的変数として,それが何ゆえに異なる結果になったのかということを,移行過程に焦点をあてて分析するのがキャリア研究のアプローチである。
たとえば,名古屋大学の若林満先生らは,1980年にある百貨店に入社した80数名の新人の3年経過後の人事考課を目的変数として,移行過程におけるどんな要因が人事考課の違いをもたらしたのかを調査した。そこで分かったことは,最初の上司との関係のあり方によって3年後の人事考課の良し悪しが決まるということであった 。この研究は,スライドでいうと,組織の因子(上司との垂直的交換関係)とキャリア結果の関係を明らかにしたものである。
移行過程に対するアプローチには,社会的因子,経済的・一般的因子というもっとマクロな要素もあるが,本日は組織の中のキャリアを考えることが目的であるので,組織因子の変数である経営戦略と人事管理がキャリア発達にどのように関わっているのかについてお話したい。(平野光俊)posted by: NOMA第3期人材マネジメント研究会 第5回定例会報告 | 2007.07.04 Wednesday | 00:17 |
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