細川昌彦著
境界を越えることにより、新たなつながりを見出し、そのつながりのなかから、自分の独自性に気付き、より大きなシステムに貢献できる姿に育て上げる。こんな大事な発想を企業の発展だけに使うのはもったいない。地域や国の発展にも今、人やモノをつなげる力が求められている。それだけに境界と境界を結ぶ存在、いわば“結界人”が求められる時代になっている。
著者は、通産省の官僚だった25年前に「東京国際映画祭」を仕掛けた人物である。その後、名古屋経済圏を統一ブランドとして海外に売り出す「グレーター・ナゴヤ・イニシャティブ」を提唱、さらにニューヨークで「日本食文化フェスティバル」を手掛けるなど、世界に向けて日本を発信してきた。本書は著者が結界人となることで生まれたと言っていいだろう。
表題の「メガ・リージョン」とは、「大都市を中核とした1つの経済圏」のことで、カリフォルニアのシリコンバレーをはじめ、世界には40のメガ・リージョンがあるという。著者は、今後は国ではなく、こうした地域間の大競争時代になると予測し、海外の動向と日本の4大メガ・リージョン──東京、名古屋、京阪神、北部九州圏の可能性を探る。
行政、地域、ビジネスの3つを有機的に結びつけ、広域経済圏を作るという発想は、集積の経済やソーシャル・ネットワーク論などに詳しい人には、おなじみの概念かもしれない。しかし評者は、著者が特定の視点にこだわるより、実践に役立つかという観点から、「虫の目、鳥の目、魚の目」(あとがき)を駆使しつつ、複眼的思考をしていること、そして思考するだけでなく、実践していることを重んじたい。
それだけに本書の主張は説得的である。たとえば、日本の自動車産業の中心地、名古屋については、「『内なる国際化』が遅れている」と指摘。将来は「アジアの技能人材を育成する拠点」を目指し、ポスト自動車の布石としては航空機産業とロボット産業に着目せよと述べる。九州についても、工業地域として伸び悩む北部の課題を明らかにする一方、南部が一丸となって安全な食品を売り出す「食アイランド・九州」を提案。企業や人材の獲得法にも章を割き、「大学学長のプロ野球監督化」や外国人に優しい地域づくりなど、有益な提言をしている。
地域に根ざしながら、ワールドクラスの活動を目指す実践家、またそれを支える調査を担う研究者に必携の書である。
★実際に掲載されたのとは、違うつぎのバージョンもあります。
境界を越えることにより、新たなつながりを見出し、そのつながりのなかから、自分の独自性に気付き、より大きなシステムに貢献できる姿に育て上げる。こんな大事な発想を企業の発展だけに使うのはもったいない。地域や国の発展にも今、人やモノをつなげる力が求められている。それだけに境界と境界を結ぶ存在、いわば“結界人”が求められる時代になっている。
著者は、通産省の官僚だった25年前に「東京国際映画祭」を仕掛けた人物である。その後、名古屋経済圏を統一ブランドとして海外に売り出す「グレーター・ナゴヤ・イニシャティブ」を提唱、さらにニューヨークで「日本食文化フェスティバル」を手掛けるなど、世界に向けて日本を発信してきた。本書は著者が結界人となることで生まれたと言っていいだろう。
表題の「メガ・リージョン」とは、「大都市を中核とした1つの経済圏」のことで、カリフォルニアのシリコンバレーをはじめ、世界には40のメガ・リージョンがあるという。著者は、今後は国ではなく、こうした地域間の大競争時代になると予測し、海外の動向と日本の4大メガ・リージョン──東京、名古屋、京阪神、北部九州圏の可能性を探る。
行政、地域、ビジネスの3つを有機的に結びつけ、広域経済圏を作るという発想は、集積の経済やソーシャル・ネットワーク論などに詳しい人には、おなじみの概念かもしれない。しかし評者は、著者が特定の視点にこだわるより、実践に役立つかという観点から、「虫の目、鳥の目、魚の目」(あとがき)を駆使しつつ、複眼的思考をしていること、そして思考するだけでなく、実践していることを重んじたい。
それだけに本書の主張は説得的である。たとえば、日本の自動車産業の中心地、名古屋については、「『内なる国際化』が遅れている」と指摘。将来は「アジアの技能人材を育成する拠点」を目指し、ポスト自動車の布石としては航空機産業とロボット産業に着目せよと述べる。九州についても、工業地域として伸び悩む北部の課題を明らかにする一方、南部が一丸となって安全な食品を売り出す「食アイランド・九州」を提案。企業や人材の獲得法にも章を割き、「大学学長のプロ野球監督化」や外国人に優しい地域づくりなど、有益な提言をしている。
地域に根ざしながら、ワールドクラスの活動を目指す実践家、またそれを支える調査を担う研究者に必携の書である。
『エコノミスト』誌 書評記事より 安藤忠雄著『建築家 安藤忠雄』新潮社。(評者 金井壽宏)
世界を旅した後、独学で建築を学び、人生やキャリアそのものが旅だとも述べてきた建築家、安藤忠雄の自伝である。これまでの著作でも、建物の背後にある想いを語るときには、自伝的語りを伴っていたが、本書も世に生み出してきた作品との関連で自分を語り、そのときどきの感情、思考などを吐露。読む人に鮮烈な生命力と熱い闘争心、そして人と人とのつながりや共同体の大切さを教えてくれる。
安藤は建物に住む人がいて、住む人は共同体のなかに生きていて、それゆえ建築とは社会的な生産行為だと看破。形だけの引用、模倣を排し、伝統とは形そのものではなく形を担う精神であると言う。安藤は建築を成り立たせる社会の仕組みまで踏まえつつ、創造性を磨いてきたのである。
初期の「住吉の長屋」から、最近の東京での「海の森」まで、全作品が闘いであり、運動の結果であった。社会のなかの運動なので、新規のアイデアは衝突を起こす。それだけに、実際には「建たなかった」プロジェクトがとても大切にされる。
かつて、創造の原動力についてお伺いしたときに「怒り」だと言われたので、「怒りを原動力にしていい仕事をされる人はまれだとも思うのですが?」と恐る恐るお聞きしたところ、「怒りは怒りでも、こんな空間の使われ方は承知しないぞという社会性を帯びた怒りなんだ」と言われたのを、この本を読みながら思い出した。建たなかったプロジェクトが続いても、その連戦連敗そのものが闘いであり、運動であることが、本書から伝わってくる。
評者の勤務する神戸大学で昨年講演をお願いしたときには、本書の第1章で披露される組織づくりについて語ってくださったが、「リーダーシップは暴力です」と吐露された。ジョークではなく、この表現で闘うことを忘れた日本のリーダーに警鐘を鳴らされたのだと思う。
また、創造的行為は孤独であると勘違いし、人とつながる力を活用しないで創造性を発揮できない人がいる。ぜひ、本書を通じて、創造性がいかに、共同体、子供、クライアント、行政などとの関係性のなかで発揮されるかを感知したいものだ。
闘わないことから生まれる脆弱な関係性より、賛否両論があっても闘い続け、建物が実際に建っても企画だけに終わっても、前進し続ける。良質な怒りや闘争心があるべきなのに、それを忘れがちな評者には、本書は劇薬のように効く。座右の書にすべき、破格の自伝だ。
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